おじさんとスゥイートゥと秋

はじめに

秋冷の時節、目が覚めるとまずは暖房をつけ、そのまま布団にひっこんでしまいたくなる。しかし休日の昼間の寒さの緩んだ隙をみつけると、おじさんは背を丸くしつつも自転車をはしらせ、あるものを目当てにコンビニへ向かうのだった・・・

 

挨拶

 だれがよんでいるのかわからないけど、またブログを書くのはなぜか、さぁなぜだろう。ただ、ツイッターの文字数では足らないことは感じているので、おじさんとブログの微妙な関係は雰囲気から感じ取ってほしい。

 

 ~♪ 「いらっしゃいませぇ」

 ついてみるともう息はきれておじさんは一仕事したような顔をしている。(コンビニは近所だ)そして物の一分ほどで用事をおえて、お会計へ。こんな些細なこともおじさんには少しの冒険だったりする。

 そろそろ、肝心の要旨にふれなくてはいけない。

 今回はスイーツの話だ。

 

前菜 「自分語り多めの経緯」

 おじさんはある冷たく暗い場所で日々労働をして雀の涙のような給料をもらって生きている。そのせいなのか、ここ最近おかしな痩せにみまわれた。

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だからどうなるわけでもなくせいぜい食が細くなるくらいしか自覚できる変化はない。一方で味覚に何か起こったのか前よりも少しスイーツを食べられるようになっていたのだった。

 

スープとか「自分とスイーツ」

 「食べられる」とは奇妙な表現だが、おじさんはスイーツが昔から苦手なのだ。まったく食えないというのはないが特にスイーツと日本で呼ばれがちなクリーム・チョコどさぁむわぁの食べ物は体が受け付けない。そんなものより、白い飯を書き込みたい性分であった。

 同時に内心侮っていた。こんなものはコメのあと腹がすいていたら食われるサブ的な位置づけだ、と。

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メインのやつ「パン屋の罠」

 ある日のことだった。家の近くのパン屋でかいものをしていたとき、目に留まったものがある。ブルーべリーの乗ったタルトみたいなものあるいはブルーベリータルトだったとおもう。それはなぜか魅惑的におじさんをひきつけ、持っていた盆に滑り込むことに成功した。

 そのブルーベリータルトは甘さが控えめだがしっかりと果物の甘酸っぱさの主張があり、生地も好みだった。生地に乗った具をなんかあまいコーティングでつつんでいるのだがそれが調和をささえていると私は感じた。とにかく一口サイズのそれを通じてスイーツなるものに対する自分の味覚の可能性を感じ取った、そんな瞬間だった。

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でせーる「快楽をもとめるおじさん」

 食というささやかな快楽はおじさんの休日を彩ってくれる。ここにだけ金をかけている現状で快楽の幅は広がるに越したことはない。

 ほんの一瞬、これまでの自分を思い出し、あんなに拒否してきたスイーツを味わうことは堕落ではないか。と逡巡が顔を出した。

 しかしそんなプライドはいらない。酢豚のパイナップルくらいいらないのだ。今はそう考えている。

 そんなことを言いながらも、買うときはすごく申し訳ない気持ちがしてくる。そんなことだからいつも周りをきょろきょろしながらスイーツを手に取っている。

 

最後に

 でかい自分語りこそブログというインターネットの本質かもしれないとなんとなくおもった。気分でかくことをめちゃめちゃに変えるのが自由できもちいいのだよなぁ。

 

おまけ

・文字を虹色にするとかできないのかな 画像も自由におきたい

・ワッチャ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!プリマジ!!!!!!!!!!!!!!!!見ろ!

・今季の異世界系転生系のあのあたりみてないからどれみたらいいかおしえてください。

 

オタクの長文早口おきば  その1

アニメの鑑賞についての持論(科学的根拠はない)

 

目次

1 なぜこの記事を書いたか

2 鑑賞することとはなにか考える

3 避けられない他者

4 心地よい鑑賞について

5 終わりに

 

1なぜこの記事をかいたか

 

  アニメをおもしろいなぁ~ あびゃああああ

     Tsuttakaterで感想書いちゃおっと、うげげげげげwww

「××はおもしろい ○○はくそつまらん かす うんち ぶりぶり」

  なぁんだ、この○○というアニメはうんちがぶりぶりなんだ・・・

 

 このような経験を通してその人が漫画とかアニメとかTVドラマなどをはじめから避けてしまうことがこの世界のあちこちで起こっているのが現状である。もちろん、どんなものをどう鑑賞しようが趣味の範囲で特に先ほど挙げたくらいのものついて人生を変えることはない (~で人生が変わったとかいうのは前から人生が変わりそうだった人が変わる前と後の期間で~を偶然挟み込んだだけである。)

 しかしながらやっぱりなんか納得がいかない この一連の過程は理不尽な気がするブヒとおじさんはおもってしまった。

 この記事ではおじさんの感想と想像を参考におじさんが勝手な持論を連ねていく、そして結論として外的自衛内的自衛の重要性を説教する。

 

2 鑑賞することとはなにかを考える

 

 鑑賞とは何を指すか定義せよという声のあちこちから上がってくることは誠にわかりなさる(自敬表現)が、偉い人のお言葉をしらべて正しさを出すのは面倒だ。だからやだ

 鑑賞するのはアニメとか漫画とかだ するのは人間だ だいたい映像とか絵とか文字から意味を読み取ることを指している。

 

 鑑賞はさも人間と作品が存在し、その間で意味の受け取りがおこなわれているような考え、つまり意味の読み取り方には正解と不正解が絶対的に存在し、暗に一意に定まっているというような思想をしている人がいるが多分間違いだとおもう。

 鑑賞は自分が作品を読んで感じているのだからそれを正解不正解で図ろうとすると、正しくはそれに絶対性を求めていくと無理が生じる。

 作品の前のそれを感じる自分という文脈にもっと意識的になってみてもいいかもしれない。

 

3 避けられない他者

 他者というのはいま君のTsuttakaterなどのTLで文字だけの身体で現れる人間のことだ。コロナで人間には会わないんだからだいたい全員文字だけの文字人間だ。

 

 私の言いたいことは文字人間などのいうことを聞くなということだ。

 

 もうブログをおわってもいいがもっと書くことにする。文字人間もやはり人間なので文字を書くなと言われても断るだろうし、自分は自分でだれとも文字つながりをもたないのはつらいのである。つまりだれかが鑑賞したことの感想はいまや避けるに避けられんのである。私は頭にアルミホイルを巻いてなんとか防いでいるが。

 

 友達がどういっていようが、それはその人の鑑賞でその人だけのものである。

 

   ①鑑賞する対象→②鑑賞という作用とそれにともなう印象→③文字

 

 文字人間の鑑賞を参考することはつまりこの二回のブラックボックスにゆるぎない信頼をおくことに他ならない。もうおわかりだろうがいわせていただきたい

 

  鑑賞与奪の権を他人に握らせるな!!

 

 これはあの有名な鬼殺しジャン〇プ漫画のおねショタに一家言もっていることで有名な御仁のセリフのもじりだ。これは単に人が悪く言っていることで作品のみる見ないを決めるという行為だけに言っているのではない。鑑賞というものは鑑賞行為のすぐ付近のなんでもないような心象によっても歪んでしまうのである。

 

4 心地よい鑑賞について

 

 一人のアニメオタクの生活をのぞいてみることを通じて一例としよう。

 

 オタクA:昨日は『ぶひぶひ巨乳魔法ロリッ娘♡ポロリポロリ大作戦∀ー悲しみの輪舞ー』の一話放送日だったぬ でも録画してあるから大丈夫だぬ そういえば昨日はすぐ寝たからLIMEの返信もしてなかったし課題のついですませるぬ アニメはそのあとのお楽しみだぬ

 

 オタクB「ぶひポロさ、やはり一期とは制作陣が変わったせいで絵も音楽もなにかしっくりこないくて微妙。ストーリーも代り映えしないっつぅか、ワンパターンよな つまらないよww」

 

 オタクA : なんだぬ、どうしてこんなこと書くんだぬ。 ぶひポロは神ぬ。 どうせこいつはちゃんとみてないんだぬ。 一話みて速攻長文レスでだまらせるぬ!

~ オタク視聴中 ~

 オタクA:なんかつまらなかったぬ・・・ やっぱりあいつの言った通りかもしれないぬ・・・

 

 オタクAはBの意見をみても、たしかに面白いはずだとおもっていたが。みてみるといった通り面白くないような気がした あとからおもいだすとあちこちダメだった気がする。心象というのは天気みたいなものだ風向きとか温度とかとにかく複雑だしいちいちなんでなんて考えるのは不合理なのだ。最初からつまらないのを先にBが気づいて教えてくれたのかもしれないし、Bによってつまらないという刷り込みがあったことが大きな要因なのかもしれない。 Bゆるせねぇ うおおお卍卍卍卍

 許せない君に心地よい鑑賞のすべを伝授しよう。次に二つを強く心に刻むがよい

 

 ① 人のせいにすんな お前のせい 

 ② すっきり決めろ

 

 すべては初めに書いたことに帰結する。鑑賞は自分のものでどうやったって他人にどういう印象をもて!と命令してそのまま印象をもたせることはできない。Bは感想をかいただけでありそれが全く内容と違うのでなければ感想以外のなにものでもない。上でも下でも。

 かってに感想についてそれが真実だという感想の感想を抱いたのであり、そういう状況を作ったのも、実際その作業をおこなったのも君だ。君のせい 君のせい 君のせいでおまえ うう 

 でももし理不尽だと思うならまず外的自衛を整えることだ Tsuttakaterならワードのミュートでその話を見えないようにしたり、あるいはプロフィールにかいてしまおう CP固定とか雑食とかガチケモとか LIMEならみなければいいし面倒ならちょっとでもそういう可能性があるときは携帯の画面をたたき割ろう。

 そしてそれでもどうしようもないときは内的自衛をもつことだ。それは自身が変化させられているという認識とときに違う目で見てみるという試みだ。なんか自己啓発本臭いな しかし言葉にするならばそうだ。 この人はこう言っていて実際こう感じたけど もう一回見てみてこういう風に見られないかな と納得いくまで何らかの解釈をもつことだ 反芻して作品を自己のものにするといいかえてもいい 私はこの反芻をされずにもっともおざなりにされているものがアニメだと思っている。

 アニメはほかとちがって通し手鑑賞するのは時間的に難しいしなんか体力がいる気がする。いやしらんけど

 こうした行為によって鑑賞の手綱をしっかりと握り鑑賞を心地よくすること。それは作品に対して我々がもつ誠実さという義務の一種だとおもう。

それでもどぉおおおおおおおおおしても人の意見が気になるとかいう人はすっきり決めることを習慣づけることをおすすめする。 もう面白くないから気にしない 気になるから突き詰める どちらでもいい 自分ですっきり決めていると向こう側から変わってくれるのである あいつはああいうやつだからと言わせたときには儲けものだ。

 

5 最後に

 なんかこれについて語りたすぎてかたってしまった タイトル通りオタクの早口程度なので何ら専門的ではないし長くもないのがむしろいいところだとおもう つたない文をよんでくれたことに感謝を述べたい またなにかかくかもしれない アメブロの17倍書きやすい きめつはまだみてない

 

 

 

 

 

 

 おわりだよ~